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行政書士で独立開業して軌道に乗るまでの記録

行政書士 独立開業

行政書士として独立開業したころの記録を書いてみることにしました。
行政書士関係だけではなく、大人になってから勉強をはじめようと考えている人や、独立開業を考えている人たちに何かを感じてもらえたらと思います。

目次

会社員だったころのはなし

30歳を過ぎたころ、自分の人生は暗かった。
既婚、子供は0歳と3歳。会社員として働いていた。
ありがたいことに、家庭はうまくいっていたが、仕事の方がまったくうまくいかない。
つらいけど家族のために働き続けなくてはならない。

バンドマン時代

自分の青春時代はそれなりに充実していた。
中学からはじめたロックバンドでドラムを叩いた。
まともに就職せず、アルバイトをしながらひたすら音楽に打ち込んだ。
アルバイトは、建築現場、キャバクラのボーイ、ゲームセンターの店員、いろいろやったけど全部楽しかった。

楽器の練習に明け暮れ、曲を作り、数え切れないくらいのライブをした。
いつの頃からか、お客さんもきてくれるようになった。

歌詞を書くのが好きだった。
魂を込めて書けば、誰かが共感してくれる。
思想が極端なタイプだったせいか、後輩の中には弟子や信者みたいなやつも何人かいた。

そんな最高のバンド人生だったのだけど、当たり前のように壁にぶつかる。
いつのころか自然と諦めムードが充満して、解散した。

もう少しうまく売り出す方法もあったのかもしれないけど、そのころの自分たちには、事業計画もマーケティングも当然ない。そういうくだらないものが無いからこそ最高にロックだった。

解散の理由は、よく覚えていない。
「音楽性の違い」、「表現したいことの違い」、「価値観の違い」、「年齢的な限界」、いろいろな理由があったと思うが、バンドやドラムに打ち込んだ人生も、あのときやめたことも何ひとつ後悔はない。

遅めの就職でぶつかった壁

20代後半で建設業関連の会社に就職した。
ここでは楽器演奏のテクニックも、独特な世界観も、全く意味をもたない。
1からやりなおし。まともな職歴のない、ただの新入社員だ。

入社してすぐに、うまくいかなくなった。
社会不適合者だった自分は、同年代の社員とうまくコミュニケーションが取れなかった。
いつごろからそういう関係になったのか思い出せないけど、無視されるようになり、ほとんど会話をしなくなり、些細なことで文句を言われ、言い返すと大喧嘩になる。

同僚たちと同じ空間ですごすのが嫌で仕方なかった。昼食の時間は通勤に使っていた自家用車の後部座席でひとり時間がすぎるのを待つ毎日が続く。そして、自分のそういった態度が周囲との溝をさらに深めた。

いまになって考えてみると、不仲になってしまった原因はきっと自分にあって、解決できることもたくさんあったと思う。でも、その当時は、つまらない意地と憎しみの感情で歩み寄ることはできなかった。嫌がらせに屈したら負け。そう思っていた。

くだらないプライドだ。
曲に乗せて想いを歌えば誰かが聞いてくれたあのころをいつまでも引きずっていて、現実を受け入れられなかったのかもしれない。

試験勉強

先のみえない会社員生活の中、友人からふいに資格試験の勉強をすすめられる。勉強なんてまともにしたことがなかった自分には思いもよらなかった。

転職も考えていたが、転職して成功するイメージどころか、まともな会社に採用される自信がなかった自分は、試験勉強という未知のキーワードに興味をかきたてられた。

自分なりに情報を集め、書店の資格試験コーナーでテキストや過去問を立ち読みする。
すぐに、「行政書士の試験を受けて合格したら独立開業しよう」という考えに至った。きっと答えは最初から決まっていたのだろう。

勉強という逃げ道を見つけた自分は、狂ったように勉強をはじめる。
睡眠時間を削って勉強する自分は立派に戦っているのだという気持ちになった。
合格して独立して自分の正義を示してやろうという一心だった。

そのうちに、「何のために?」とか、「そもそも何する仕事だっけ?」という疑問が頭をよぎったけど、気にしないように勉強を続ける。一旦はじめてしまったものは合格するか諦めるまで終わりがない。なによりも、勉強をやめてしまったら現実逃避の時間が終わってしまう。

勉強開始から合格までは別記事で書いているので省略するが、翌年、なんとか試験に合格できた。

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行政書士 独学 合格体験記 法律関係資格に興味を持った僕は、行政書士試験に挑戦してみることにした。 先に結果をいうと、社会人として働きながら独学という道を選択し、1回目の受験で合格できた。

合格後のはなし

さて、重苦しい話が長々と続いて申し訳なかったが、ここから開業に向けての話をしようと思う。

行政書士試験に合格した自分は、はじめて行政書士の仕事内容と市場調査をすることになる。今思えば本当に非効率でバカバカしいのだけれど、当時は本気だった。

市場調査

逃げ道を求めて勉強して、なんとか合格できたけど一歩を踏み出せない。

調べても調べても、ろくな情報がない。ネットでは、「行政書士は食えない」、「○年で半分は廃業する。」という耳が痛い書き込みが目についた。かたや、書店では「開業初年度から年収○千万!」とかいう本が何冊も売られている。なんともわけがわからないな、この世界は。

他の資格とのダブルライセンスということも考えたが、勉強することにはもううんざりしていたし、職場からはやく逃げ出したかった。

退職

半年後、上司に退職の相談をした。この人は、自分の人生の中で数少ない恩人と言える人で、この人がいなければ今の自分はなかったと思えるくらい感謝している。

最初は引き留められたが、この1年必死で勉強したこと、行政書士試験に受かったことを話すと、自分のことのように喜んで受け入れてくれた。
人生の先輩としてのアドバイス、お金のこと、自分のこと、経済のこと、開業するまでに覚た方がいいこと。いろいろ話してくれた。

上司に相談するまでの数週間、引き留められたらどうやって説得しようかなんて小さいことを考えていたのだが、上司の人格は自分のはるか先をいっていた。

そして迎えた退職の日、一番仲の悪かった社員がひとこと「がんばれよ」と。そのひとことで、少しだけわかり合えた気がした。
自分は一体何と争って、何を苦しんでいたのか、涙が溢れた。

行政書士登録

晴れて自由の身(無職)になったので、具体的な開業準備をはじめることにした。まずは行政書士の登録申請。ここまで来たらもう逃げられない。
さっさと覚悟を決めて行政書士会に連絡した。

行政書士会に連絡すると登録申請の手引と申込用紙を送ってくれるので、必要書類を添えて申請する手順だった。
登録の初期費用はたしか40万円くらいだったろうか。当時の自分には大きい金額だったが、登録しないと行政書士と名乗れないので仕方がない。

サークルに参加

あとは、人脈。行政書士というよりも士業にも経営者にもまったく人脈の無い自分は、以前から加入していたmixi(当時流行していたSNS)のオフ会に参加することにした。

サークルのメンバーは、士業の合格者や受験生、開業して間もない人など、士業関係者の中でも比較的キャリアの浅いひとたちが多くを占めていた。

人見知りの激しい自分は、ただでさえ知らない人と話すのは苦手なのに、立派な先生方や勉強する層の知り合いなんかいなかったものだから、未知の世界に手に汗を握って恐る恐る参加したことを忘れられない。

サークルのメンバーはみんな優しかった。
イベントが定期的に行われて、開業準備期間から、開業してしばらくの間お世話になった。先輩の行政書士さんにお願いして実務の講習をしてもらったり、メンバーが交代で勉強会を主催したり、交流のための飲み会をやったりと、非常に多くのものを学ばせてもらった。

この当時できた仲間が今でも大きな支えになっていて、あのとき、勇気を出してオフ会に参加した自分を褒めてあげたいし、こんな自分を受け入れてくれた他のメンバーには感謝しかない。

ついこの前までたった一人だった自分だけど、同業の仲間、登記や社保、税務、法律のことを聞かれたときにはそれぞれの専門家の知り合いができた。

その中でも大きかったのは、とある弁護士さんが仲良くしてくれたことだった。今までの人生では、一流大学卒の弁護士先生と普通に雑談をするとか、そんなこと想像することもなかった。勘違いもはなはだしいのだけど、それだけで自分まで少し上等な人間になったような気持ちになって、地元の友達に自慢して回ったことを覚えている。

インターネット調査

インターネットでの市場調査を開始した。
自分は比較的早い時代からネット中毒者だったし、バンド時代はウェブサイトの作成も担当していたので、多少の自信があった。

Google検索、Yahoo検索、Yahooカテゴリ、インターネットタウンページ、その他もろもろの方法でインターネット上の市場価格と競合数を調べた。
近隣地域の行政書士や他士業のウェブサイトや、日本国内で強そうな行政書士のウェブサイトが研究対象だ。

同時に進行していた実務の勉強のアウトプットを兼ねて、ブログやウェブサイトにて発信した。登録前だったので、行政書士未登録の人間が発信しても差し支えない情報に限定する。目的は、アクセス数や検索順位の数値を取得したかったことと、行政書士登録後、すぐに事務所のウェブサイトとして運用するためだった。

自分は、アメブロや独自ブログなど、複数のチャンネルを使って、何をベースに情報発信を行うべきか比較検討を行った。

自分が出した結論は、WordPressでの構築だった。
自社のWEBサイトもブログも、WordPressで作った。

当時は、Googleのアルゴリズムも今とは違ったと思うので、施策した方法は書かないが、自分なりのSEOを複数のサイトで並列的に試行して数値をとった。

サークルのみんなに置いていかれたくないし、なによりも、廃業して周囲の人間に笑われたくないとか、成功して自分の正義を示したい気持ちが背中を押した。
お金もコネも何もない自分は必死に食らいつくしかなかった。

独立開業からのはなし

このあたりで行政書士登録が完了する。

登録のお知らせは想像していたよりもたいそうな感じではなくて、A4の紙が一枚送られてきただけだった。ああ、そうか、自分は昨日から行政書士になったらしい。

事務所名は「落合行政書士事務所」。

生き残ることだけを考えていた。

信念

企業理念なんてたいそうなものではないが、信念はあった。
この信念は今も変わらない。

信念
  • 信頼には信頼で応える
  • 絶対に嘘をつかない
  • 受けた恩は倍以上にして返す
  • 相手によってお辞儀の角度を変えない
  • 金や権力に屈しない

職業がかわっても、歳をとっても、いつまでもロックな人間でありたい、そう願った。

開業資金

お金がなかった。
というよりも、いくら用意したら妥当かということすらわからなかった。

家の貯金はたいしてなかったが、なくなるまではその貯金を切り崩して生活にあてる。
妻は、その貯金が尽きるまで、生活費は入れなくていいと言ってくれた。

創業資金として、日本政策金融公庫から創業融資として200万円を借りる。
妻は、独身時代に貯金していた100万円を好きに使えと出してくれた。
人の力に頼ってばかりで申し訳ないので、自分の身の回りのものをすべて売ってお金に変える。5万円くらいだった。
全部合わせて305万円。このときのすべての資金だった。

生活費にあてる貯金が尽きるまで、半年か1年くらいだろうか。
妻に聞いてみたが、「そんなことを聞いたって何も解決しないでしょう?」と教えてくれなかった。
ああ、たしかに。自分のリミットなんて知っても仕方ないよね。

とにかく、生活費が尽きるまでが第一段階、準備資金305万円が溶けたら第二段階終了。
これが尽きる前になんとかしないと。

初期費用

創業時期に使った開業資金の一覧を書いておきます。
自宅開業だったので、事務所関係の経費はかかっていません。

初期費用一覧
  • 行政書士初期費用 40万円(登録・会費・バッジ・職印等)
  • 備品       30万円(事務備品・プリンター等)
  • スーツ・鞄・靴  10万円(まともなものを持っていなかったため)
  • 書籍       10万円
  • ウェブ初期費用   2万円(サーバー・ドメイン)
  • 印刷物       5万円(名刺・チラシ)
  • ソフト代      3万円(会計ソフト等)

合計 100万円

自宅兼事務所で、簡単な設備を揃えるだけならこれだけでできる。

ランニングコスト

次いで、半年間程度のランニングコスト。
自分が使った金額の目安。

経費一覧(半年間)
  • セミナー、交流会等   12万円
  • 交際費         18万円
  • 広告費用       120万円(PPC広告・タウンページ・FAXDMなど)
  • その他経費       30万円(交通費・通信費・保険料等)

合計 180万円

初期費用と半年間のランニングコスト合計で、280万円程度。

ただし、開業初月から売上金が入ってきているので、この金額をすべて吐き出したという訳ではありません。

開業当初の営業方法

参考までに、創業当初におこなった営業方法を書いておきます。

ポスティング

チラシを作成して、近所にポスティングする。
5000枚印刷して、300枚くらい配ったところで、印刷した量が多すぎたと後悔したが、妻が用立ててくれたお金を使って作成したものを自分の怠惰でムダにするわけにはいかない。意地で配り切った。
結果、受注は0件。
2件くらい問い合わせがあった気がする。

飛び込み営業

近隣地域の会社や施設に飛び込み営業をした。
10件くらいまでは頑張ったけど、精神がもたない。
飛び込み営業を1件するくらいなら10時間ブログを書いた方が楽だという結論に達した。

FAXDM

ある程度結果が出た。
(売上-FAXDMの費用)は確実にプラス。

難点は、苦情がものすごく多いことだ。
当時、事務員がいないものだから、外出中は事務所への電話をガラケーに転送していた。
役所やお客さんとの打ち合わせ中に転送でかかってくる苦情は本当にきつい。
内容はどれも同じ、「勝手にFAX送りつけるな!」というお叱りだ。
「コピー用紙とトナー代もってこい」などの唇裂なお叱りもいただいた。
これも自分の幼い精神では続けることはできなかった。

電話営業

仲の良い行政書士と一緒に電話営業をした。
第一段階として、「○○についての資料をお送りしていいですか?」と電話する。
OKをもらえたらFAXを送って、数日後に「見ていただけましたか?」と再度電話する。
しつこいと怒られることも多々あった。

500件くらい電話したと思ったけど、効率が悪くてやめた。
1~2件受注できた気がする。

名刺交換会

営業というよりも人脈を広げるため。
たしかに知合いは増えたが、名刺を配りまくって知合いを増やせば仕事もらえるとか、世の中そう単純なものでもないと感じた。

名刺交換会には親切なひとが多かった。

業務提携しましょうと言われ、期待に胸を膨らませてほいほいと出ていけば、あなたの商売じゃ儲からないから一緒にこのビジネスをやろう、今なら始まったばかりだから有利なポジションからはじめられるよ、と多額の入会金が必要なビジネスへの参加をすすめてくれる。丁重にお断りしていると、他に何人も駆けつけてくれて、長時間に渡ってその素晴らしいビジネスの説明をしてくれた。

保険代理店のひとたちもとても親切で、なにげない雑談で話した自分の家族構成を元に、頼んでもいない生命保険の見積もりを作って届けてくれる。

独立開業を成功させるための秘訣として、100万円くらいの自己啓発教材を熱心にすすめてくれた人もいた。

みんな優しい人ばかりで涙が出そうだ。

当時はそれなりにショックを受けてたものだけど、今思えばこんなのは当然のことだ。
実力も信頼もない雛が、知らない者同士が集まる名刺交換会にふらふらと出向いたところで、仕事なんかいただけるわけがない。

覚えておいてほしいのは、創業期にあちらから寄ってくるのは、ほとんどがセールスマンだということだ。

冷静に考えてみればわかる。
実力のある人間が、わざわざそんなところに出向いてビジネスパートナーを探すわけない。

あなたが実力と信頼をつけた頃には、黙っていても仕事は舞い込んでくる。

ただし、交流を広げたり、世間を知るという意味では積極的に参加するのはいいと思う。この時期にしか経験できないことも多いので、新人として顔を売ることの大変さを知っておけば後々の力になるかもしれない。

また、人と人はどんな形であろうと出会わなければなにもはじまらないということも事実だ。

経営者団体

○○会、○○塾などの、立派な経営者の団体にも何度かお誘いいただいた。
会合にも何度かゲスト参加させてもらったけど、コミュニケーションが苦手でコンプレックスの塊のような自分には、立派な経営者さんたちのコミュニティに入っていける気がしなくて正式入会はしなかったが、続ければ必ず見返りはあると思う。

素晴らしい経営者さんたちの集まりだし、誰でも気軽に参加できる一般交流会とは信頼関係と結束感が違う。
経営者としての悩みを真剣に聞いてくれる仲間がいることはとても羨ましい。
それはきっと、入会してすぐ得られるものではなくて、長年かけてじっくり築き上げるものだと思う。

自分の中でも、「あの、ゲストとして呼んでもらったとき入会しておけばよかったな」という気持ちがないこともない。

ネット広告

主にPPC広告。
当時は、今では考えられないくらい広告単価が低かった。
広告自体の存在もあまり知られていなかったので効果は非常に大きかった。
現代では、クリック単価の高騰とサービス報酬の価格破壊によって、費用対効果が悪くなっている。

電話帳広告

少し大きめの枠を買った。
新人には高く感じたけど、費用対効果は思ったより悪くない。
問い合わせはそれなりにあった。
この頃は電話帳で探す人も多かったのだろう。

今はもう出稿していない。

はじめての実務

最初の業務は、前職でお世話になった人の家の相続関連業務だった。
サークルで知り合った司法書士の先生と共同で受任させてもらった。
数十年単位で登記されていいなかった土地で、司法書士先生の指導のもと、戸籍類を収集して、相続関係図を作成させてもらった。

その次は確か、産廃の収集運搬許可の代行業務。
地元の友人からの仕事。
正直、この県の許可そんなに必要じゃないんだけど、おまえが独立したなら応援するよ、ご祝儀な、練習でやってみなよっていう感じで発注してくれた。
もちろん実務の練習にもなったし、報酬も嬉しかったけど、なによりその気持が嬉しい。お金では買えないものが自分に力を与えてくれた。
こんな近くに神様がいたなんてね。

業務が完了したあと、近所の古びたラーメン屋でお疲れ会をやった。
油っこい、ねちゃっとした床。真っ赤な中華色のカウンターに瓶ビールと餃子。きっと一生忘れない。

問い合わせが入りはじめる

最初の2件の仕事が終わるころにはポツポツと問い合わせが入るようになってきていた。

このころには、「名古屋 行政書士」というキーワードで、検索上位をとれるようになっていた。

インターネットの施策と、広告戦略がうまくいったのか、電話やメールでの問い合わせがちょくちょくと入る。また、この時期はTwitterが流行りはじめたところで、Twitter上陸の波にも乗れていた気がする。Twitterからの問い合わせも定期的にあった。

創業準備の期間から「仕事をとるために」書いていたこのブログだったけど、そろそろ書くことが重荷になってくる。実際に仕事が入り始めると、調査、打ち合わせ、書類作成、と時間がいくらあっても足りない。かといって普段の業務のことを面白おかしく書くこともできない。
仕事をとるために書いていたが、ひとまず目的は果たした。
この頃からブログはほとんど放置状態となる。

ラジオ出演

開業から約1ヶ月後、ラジオに出演させてもらえることになった。

ZIP-FMという有名ラジオ局の「BANG! BANG! ZIP!」という番組の「プロフェッショナル・スラング」という専門用語を解説するコーナー。
ラジオDJは、落合健太郎(オチケン)さん。自分と同姓同名の有名人だ。
今でも幅広く活躍されている、すごい人だ。

出演の経緯は、自分のブログをみた番組制作会社の人がコンタクトをくれたことだった。
「オチケンさんと同姓同名だからですか?」と聞いてみたけど、
「違います、専門家で、ウェブサイトがしっかり書かれていたからです。」とのことだった。
ブログに力を入れた結果がこんなに早く、しかもこんな形ででるなんて。

全4回出演させてもらったのだけど、収録では毎回、落合健太郎さんと同姓同名であることをネタに「オチケンあるある」のような会話が弾んだ。

ラジオ出演の反響は大きかった。
最近でこそあまり言われなくなったが、はじめて名刺交換したときの第一声が「わかります!ZIP-FM聞いてました!」という人がたくさんいた。
オチケンさんと同姓同名というインパクトが強かったのだろう。
実際に、ラジオきっかけで数件の仕事をいただいた。
大手の金融機関からラジオと同じ内容でセミナーをやってくれとの打診もあった。

ZIP-FMに出してもらえたことも運だけど、オチケンさんと同姓同名だったことも運。この件に関しては、ただ運がよかっただけとしか言いようがない。

オチケンさんとは後日、とあるイベントで再会できたのだが、そのことはまた別の機会に。

軌道に乗りはじめた後のはなし

こんな感じで、自分の行政書士デビューは、比較的早く軌道に乗った。

資金を使い切ることもなく、開業から丸2年がすぎたころには、処理しきれないほどたくさんの依頼をいただけるようになった。
妻も手伝ってくれていたが、もう限界だ。
求人をかけることにしよう。

従業員の受入れ準備

士業に限らず、フリーランスや自宅開業している人は、はじめて従業員を雇うことというのは、悩むところだろう。

まずお金の話。
人を雇えば、時給なり月給なりで決まった支出が発生する。
売上があってもなくても。
人件費という固定支出が怖いのだ。

この判断に躊躇する人が多いのではないだろうか。
自分も同じように悩んだが、忙しすぎてもう物理的な限界を迎えていた。

もう一点、自宅兼事務所に社員を受入れるには多少なりとも抵抗があった。
こんな汚い家の片隅の事務所で働いてもらうなんて申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
せめてもの気持ちで内装工事と備品の買い替えをおこなった。
50万円くらいかけただろうか。

正社員採用

こんな事務所の求人に応募してくれる奇特な人はいるのだろうかと、ドキドキしながらハローワークに求人を出すと、数日で10名程度の応募をいただけた。
タイミング的に行政書士の求人が少なかったのだろう。
わざわざ大阪から面接に来てくれた人もいて、こちらの気が引けた。

応募いただいた中から、女子2名を正社員として採用することにした。
同時に2名採用するのは、金銭的な不安が大きかったのだけど、新入社員にとって同期の仲間が居たほうが働きやすいだろうと考えてのことだった。

この2名に自分と妻を加えて4名の体制になった。
一気に事務所らしくなってきた気がした。

経営の安定~法人化

自分の不安をよそに、仕事は入り続け、売上は伸び続けた。

2名採用した1年後には、事務所を移転できるまでになった。

この時点でもう経営は安定域に入っていたと思う。
ここから先はとくに書くこともなく、業績はそのままあがり続け、法人化した。
行政書士法人は、メリット、デメリットがそれぞれあるのだけど、自分たちは法人化の道を選んだ。

その後

開業当初はネットからの集客に依存していた売上は、リピーターと紹介案件のみでキャパオーバーするようになった。
ネット集客に関しては、他社と競合しやすい業務はダンピング傾向が強く、広告単価も上がってきているので、最近は控え気味にしている。

最近受注している業務は、複雑で単価の高い業務が多くなってきていると思う。

行政書士は食えないとか言われがちだけど、全然そんなことない。
実力のある行政書士には高い需要がある。
ある程度の売上のある行政書士なら、みな口を揃えて「仕事を取るのは簡単」と言うだろう。

最後に

行政書士に限らず、誠意をもって仕事と向き合っていれば必ず道は開ける。
自分のような、何もなかった人間でも、0からの事業を軌道に乗せることができた。

どの職業でも同じだと思うけど、世の中に必要であれば、仕事をいただける。
あなたが売りたいサービスや商品を買ってもらうためには何が必要か、自分の売りはなにか、曲げれないものはなにか。
うまくいかなかった時には、何が足りなかったのか、何が失敗だったのかを立ち止まって見つめ直してほしい。
あなたなりの答えが出るころには、きっとあなたを必要としているたくさんのお客さんがいると思う。

簡単にあきらめてほしくない。

信念をつらぬけば道は開けると思うし、人生に遅すぎるとかもう終わったとか、そんなことはないと知ってほしい。

誤解がないように書いておくが、自分は別に、独立開業を推奨している訳ではない。
会社員として生きる道も、当然正しい。
人生を選択するのは自分だということは絶対に忘れないでほしい。

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