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山月記 中島敦

山月記

ネットを徘徊していたら、中島敦さんの「山月記」という作品に巡り合いました。
ウチの嫁さんや、Twitterのフォロワーの方々で、
「高校の教科書に載ってた」
という声もあったのですが、僕はたぶん読んだことないのかなと。
もしあったとしても、高校の頃、国語は大嫌いだったので、覚えていないのかもしれませんが。

話のあらすじとしては、
役人をやっていた主人公が、
詩人になる為に、役人をやめてしまいます。

何年間か、詩人として活動しますが、成功できず
生活に困窮し、結局、役人に戻ることになります。

しかし、戻った先では、かつての同僚や部下が、
自分が詩人をやっていた期間に出世してしまい、
彼等の命令に従わなければならないという状況になってしまいます。

自尊心を深く傷つけられた主人公は、ついに発狂し、
出張先から飛び出し、人喰虎となってしまいます。

そしてその後のある日、最も親しい友人と再会します。

そこで、人喰虎となった主人公は、
友人に、自分の考えや気持ちなどを語るのですが、
そのやり取りが非常に印象的だったので、抜粋を掲載しておきます。

何故(なぜ)こんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、
しかし、考えように依(よ)れば、思い当ることが全然ないでもない。

人間であった時、己(おれ)は努めて人との交(まじわり)を避けた。
人々は己を倨傲(きょごう)だ、尊大だといった。
実は、それが殆(ほとん)ど羞恥心(しゅうちしん)に近いものであることを、人々は知らなかった。
勿論(もちろん)、曾ての郷党(きょうとう)の鬼才といわれた自分に、
自尊心が無かったとは云(い)わない。
しかし、それは臆病(おくびょう)な自尊心とでもいうべきものであった。

己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、
求めて詩友と交って切磋琢磨(せっさたくま)に努めたりすることをしなかった。
かといって、又、己は俗物の間に伍(ご)することも潔(いさぎよ)しとしなかった。
共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為(せい)である。

己(おのれ)の珠(たま)に非(あら)ざることを惧(おそ)れるが故(ゆえ)に、
敢(あえ)て刻苦して磨(みが)こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、
碌々(ろくろく)として瓦(かわら)に伍することも出来なかった。

己(おれ)は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶(ふんもん)と慙恚(ざんい)とによって
益々(ますます)己(おのれ)の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。

人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。
己(おれ)の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。

これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、
内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。

今思えば、全く、己は、己の有(も)っていた僅(わず)かばかりの才能を空費して了った訳だ。
人生は何事をも為(な)さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの
警句を弄(ろう)しながら、事実は、才能の不足を暴露(ばくろ)するかも知れないとの
卑怯(ひきょう)な危惧(きぐ)と、刻苦を厭(いと)う怠惰とが己の凡(すべ)てだったのだ。

己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、
堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。
虎と成り果てた今、己は漸(ようや)くそれに気が付いた。
それを思うと、己は今も胸を灼(や)かれるような悔を感じる。

この辺りの下りを読んで、深く感じるものがあります。

全力でやらないということは、全力でやったのに失敗してしまったという
自分の才能の無さを露呈するのが実は怖くて、
「できない理由」を自分で作ってしまっているんではないだろうか。

相手に認めてもらわなくても良いと思うのは
本当は認めて欲しいのに、自分の才能が認められないという
結果を突きつけられるのが怖いだけではないのか。

「自分は自分」という考えは
単に、自分の考えが否定されるのが怖いだけではないのか。

本当にいろいろと考えさせられる作品です。
この時期に、この作品に出会えて良かった。
もし道に迷う事があったら、また読み返してみたいと思います。

「山月記」は、青空文庫で読むことができます。
短い作品ですので、気が向いた方は、是非読んでみてくださいね。

中島敦 山月記

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